佐藤玄々(佐藤朝山) さとうげんげん(さとうちょうざん)(彫刻家 物故作家)
1888年〜1963年
佐藤玄々(佐藤朝山) 「笑門福来」
その圧倒的な表現の力量は、平櫛田中をはじめ当時の同時代の彫刻家達からも高い評価を得ていました。そして、20歳も年の離れた大先輩である横山大観も朝山のことを「天才」と評していました。
東京国立博物館や福島県立美術館、横山大観記念館などにも作品が収蔵されていますが、戦災により多数の作品が焼失した為、残された作品は比較的に少ないことが非常に残念です。
日本橋三越本店本館1階中央ホールの「天女像(まごごろ)」は、全長が約11m、重さは約6,750kg。
常人の想像をはるかに超越したこの彫刻作品は、紛れもなく佐藤玄々晩年の代表的作品です。公共の場所に設置されているため、資料画像だけでなく必ず実物も観て欲しい巨大な彫刻作品です。
1888年(明治21年)福島県相馬郡に生まれる(代々の宮彫り師の家柄)
18歳の時に上京。高村光雲の高弟である山崎朝雲に師事する
1913年(大正2年) 8年間の修行後に山崎朝雲から「朝山」の号を与えられる
1922年(大正11年)再興第9回日本美術院展覧会に「木花咲耶姫」を出品
同年 日本美術院創立25周年記念事業でフランスに留学(2年間弱)
1939年(昭和14年)師匠の山崎朝雲との不和から「朝山」の号を返上し破門を申し出て、本名の「清蔵」に戻る
1948年(昭和23年)「阿吽洞玄々」と号する (この「玄々」とは、老子 道徳経81章の内の第1章の一節「玄之又玄、衆妙之門」よりとったもの)
1960年(昭和35年)日本橋三越本店中央ホールで「天女像」の除幕式が行われる
1963年(昭和38年)ご逝去(75歳) 勲三等に叙される
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