佐藤忠良 さとうちゅうりょう(彫刻家 物故作家)
明治45年(1912)~平成23年(2011) 享年98歳
佐藤忠良 1991年作 ブロンズ作品
モチーフとなる対象を深く観察し、その人間性まで写し取る様に具現化する卓越した表現力
練達した技で戦後の日本の彫刻界を力強く牽引し続けました
宮城県黒川郡で生まれ、大正8年に北海道夕張町(現在の夕張市)に移り住みます。
昭和9年には東京美術学校彫刻科に入学。(同期には終生の友となる舟越保武も在籍)
学生時、先輩の柳原義達の勧誘で国画会に舟越保武と出品し二人とも受賞。この事が彫刻家佐藤忠良の方向性を決める事となりました。
しかしその後、1944年に召集。満州に渡り、ソ連、朝鮮国境近くの東寧に派遣された若き佐藤忠良はシベリアの収容所で約3年間の抑留を余儀無くされてしまいます。復員後、夫人の実家である千葉県に滞在していましたが、彫刻の制作を始めるために単身で上京します。
昭和56年には、アジア人として初めてフランスのロダン美術館で個展を開催しました。
出身地である宮城県には「宮城県美術館 佐藤忠良記念館」があり、約600点の作品が収蔵。 そして、滋賀県の「佐川美術館 佐藤忠良館」には約180点の作品が収蔵されています。
-
-
裸のレイ
-
-
少女像・バスタオル
-
-
ジーンズ・立像
-
-
少女(レリーフ)
-
-
子供(レリーフ)
-
-
あかちゃん帽
-
-
まげたポーズ
-
-
布・座像
-
-
布
-
-
大きな帽子
-
-
少女像
-
-
花
-
-
大きな椅子
|