中西夏之
紫・むらさき XVIII 1983年作(独立行政法人国立美術館蔵)
東京都生まれ。1958年東京芸術大学美術学部絵画科卒業。高松次郎は大学時代の同窓。 1962年、高松次郎らと山手線事件と称したパフォーマンスを決行。1963年、第15回読売アンデパンダン展に「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」を出品。同年、高松次郎、赤瀬川原平らと3名で前衛芸術グループである“ハイレッド・センター”を結成。ハイレッド・センターという名称は、メンバーの名前の“高”松次郎『ハイ』、“赤”瀬川原平『レッド』、“中”西夏之『センター』を組合わせたもの。1964年、東京オリンピック開催に沸く銀座の並木通りで、「首都圏清掃整理促進運動」と題するパフォーマンスを行う。白衣にマスク姿で、路面やマンホールの蓋をぞうきんで丁寧に掃除活動を行った。オリンピックを開催するにあたって、街を隅々まできれいにしようという動きが過剰なまでに高まっており、そうした空気に異議を唱えるためのパフォーマンスだったと解釈できる。 1965年頃、舞台美術や舞台装置の制作など、絵画以外のジャンルにも携わり活動の幅を広げる。1996年、東京藝術大学美術学部絵画科教授に就任。1997年、東京都現代美術館にて「中西夏之展 白く、強い、目前、へ」開催。2016年、脳梗塞のため死去。享年81歳。