関根正二
関根正二「子供」公益財団法人石橋財団ブリヂストン美術館所蔵1919年 油彩・カンヴァス60.9×45.7cm
明治32年、現在の福島県白河市に生まれる。9歳の時、東京に移住。 小学校の同級生に伊東深水がいた。 15歳の時に深水の紹介でつとめた印刷会社でアイルランドの作家、オスカー・ワイルドの思想を知るなどの芸術的な刺激、甲信越方面へ放浪した時の長野市在住の洋画家河野通勢との出会いなどをとおし、 関根は独学で独自の絵の世界を切りひらいていきました。大正4年、印刷会社をやめ放浪の旅に出て、長野で河野通勢と知り合う。この時、河野通勢のペン画やデッサンに魅せられ、またデューラー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの画集や写真を見る機会を得て、強い影響を受ける。しばらく長野に滞在して模写に励んでいる。以後のデッサンは繊細な線描で描かれる様になる。同年、二科展に初出品初入選。作品は『死を思う日』。その後、大正7年第5回二科展に『信仰の悲しみ』を出品。樗牛賞受賞。大正8年、病気のため死去。享年20歳
※河野通勢は関根正二の4つ年上、明治28年群馬県伊勢崎市に生まれ、独学で絵を学んだ。関根正二に合う前年の大正3年に第1回二科展で「蛇の家」「裾花川」「村塾の跡」を出品し初入選をしている。同4年東京滞在中に代々木付近で写生をしている岸田劉生と出合い、意気投合して岸田家に招かれ椿貞雄らとも知り合い、大正6年に上京の後、草土社の後半期には岸田劉生の僚友として活躍。