呉昌碩
呉昌碩「多壽圖」上海嘉禾
清朝末期から近現代に活躍した中国画家、篆刻家。曽祖父、祖父、伯父、父が郷試に及第して挙人となる家系に生まれる。幼少の頃、父から篆刻を学んだ。この頃から才能を発揮していたと言われている。17歳の時、太平天国の乱が起き、戦火を逃れるため避難生活を余儀なくされ、湖北省や安徽省などを5年間彷徨うことになる。学問にも精を出し、清い清朝官僚になる。29歳のとき、杭州や蘇州、上海などに遊学。蘇州では師友の楊峴に就いて書の研鑽に励んだ。結婚後、上海にて棲み、書や篆刻を売って生計を立てる。日清戦争後、50歳を過ぎ初めて本格的に画を学ぶ。この頃から上海の富裕層が呉昌碩の画を評価するようになる。それに併せて書や篆刻の値段も上がるようになる。1927年、84歳にて沒。