小出楢重
大阪に生まれ兵庫県芦屋で歿。大正3年東京美術学校卒業。 1919年第6回二科展に「Nの家族」を出品し樗牛賞を受賞。1920年に渡仏。1923年二科会員になり、翌年には国枝金三、黒田重太郎、鍋井克之らと共に信濃橋洋画研究所を開設して後進の指導にあたる。1926年芦屋へ転居しアトリエを構え、裸婦像を中心に1931年に亡くなるまで多くの代表作を残した。日本独自の裸婦表現を確立。
大阪に生まれ兵庫県芦屋で歿。大正3年東京美術学校卒業。 1919年第6回二科展に「Nの家族」を出品し樗牛賞を受賞。1920年に渡仏。1923年二科会員になり、翌年には国枝金三、黒田重太郎、鍋井克之らと共に信濃橋洋画研究所を開設、後進の指導にあたる。1926年芦屋へ転居しアトリエを構え、裸婦像を中心に1931年に亡くなるまで多くの代表作を残した。