藤田嗣治
「裸婦」
1910年(明治43年) 東京美術学校卒業 1913年にフランスに渡りピカソやキスリング、モディリアーニ等のエコール・ド・パリの画家たちと交流がありました。乳白色の地塗を施した画布に、線描を生かした独自の技法を見い出しました。1929年に一時帰国しましたが、1933年再びフランスに渡り、中南米を巡り、1939年から1940年まで帯仏しました。 1959年、カトリックの洗礼を受けレオナルド・フジタと改名。1968年、スイス・チューリッヒで亡くなりました。 藤田は速描きとして有名な作家でした。作品を注意深く見ると、一本一本の線の迷いのなさ、色の乗せ方、作品を構成する要素全てに藤田らしさを感じることができます。 また、婦人・少女・猫など、儚く神秘的なモチーフの人気が非常に高い作家です。
2020年07月03日 SOMPO美術館 開館記念展
2018年09月03日 没後50年 藤田嗣治展
2015年12月12日 林武『薔薇』【今日の1ページ】
2015年12月02日 藤田嗣治の世界(ポーラ美術館にて)