下村観山
下村観山「羽衣」
1873年(明治6年)、和歌山県和歌山市に生まれる。8歳のとき東京へ移住。最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。
1906年、岡倉が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、横山大観、菱田春草、木村武山とともに同地へ移住し画業を深めた。1917年6月11日、帝室技芸員となる。