高山辰雄
高山辰雄「行く道」
6月26日に大分県大分市に生まれる。昭和11年に東京美術学校日本科を首席で卒業する。 卒業後 松岡映丘門下の杉山寧や山本丘人などが新日本画の創作を目指し結成した瑠爽画社に出品したが 松岡映丘が昭和13年に死去したため解散する事と なった。そして 高山は文展、日展と出品をくり返すが、入選落選をくり返し生活はなかなか安定しなかったという。 その後ゴーギャンの影響を強く受ける様になり第8回、第11回日展の作品等はゴーギャンの影響を色濃く表している。しかし、その後影響を受けた作風から脱 却し現在の高山芸術への移行のための試行錯誤がくり返される。晩年は、表現方法もより繊細な筆使いで、幅広い色彩となり、従来の日本画の枠を越えた高山のみが表現出来る観念的な表現へ到達した。昭和57年文化勲章受賞。