国吉康雄
国吉康雄『退場』Exit1948-50年 127×76.2cmメトロポリタン美術館蔵The Metropolitan Museum of Art, Morris K. Jesup Fund
1889年岡山県岡山市に生まれる。1906年アメリカ合衆国ワシントン州シアトルに移住。1907年ロサンゼルスに移住。最初は公立学校に通い、ロサンジェルス美術学校の夜学に入り3年間学ぶ。1910年ニューヨークに移り、ナショナル・アカデミーで学ぶが、あまりにアカデミックな教育方針のために辞め、ヘンリー・スクールに移り、その後ニューヨークの進歩的な美術学校であるインディペンデント美術学校に学ぶ。この頃、キュビズムが広がりを見せる。 1922年ニューヨークのダニエル画廊で初の個展を開催。1925年ジュール・パスキンの誘いを受けてパリへ旅行。ヨーロッパ絵画の近代様式から大きな影響を受け、その後、初期の素朴な作風から離れはじめる。エコール・ド・パリの初期に当たるこの時期、特にサーカスの少女を好んで描く。サーカスの少女は後々まで希望の象徴として国吉の絵に登場する事になる。1928年二度目のヨーロッパ旅行。この時にモーリス・ユトリロ、シャイム・スーティン、ピカソらと交流し、彼らの写実的な手法に影響を受ける。1929年ニューヨーク近代美術館主催の「19人の現代アメリカ作家絵画展」の出品者に選ばれ『果物を盗む少年』『メイン州風景』『ゴルフをする自画像』が展示される。1931年10月故郷で重病となった父を見舞うため日本に一時帰国。その際に日本の美術界による帰国歓迎会が催され、二科会の会員に推薦されたり、東京・大阪・岡山で個展も開催された。1932年にアメリカに帰国。この年に父親が死去。翌年には母親が死去。1933年アート・スチューデンツ・リーグで教鞭をとる。以降亡くなる少し前までの20年間教授を務める。1935年女優のサラ・メゾと再婚。1947年アーティスツ・エクイティー・アソシエーションの初代会長に選出され、1950年まで務める。1948年ホイットニー美術館主催で回顧展開催。1952年第26回ヴェネツィア・ビエンナーレにアメリカ代表として出品する。1953年5月14日ニューヨークで死去。享年64歳。