花田美術代表 自己紹介

花田美術の代表取締役をさせて頂いている花田淳(じゅん)です。

花田美術は父の代から銀座7−8−16の地で画廊をさせて頂いておりましたが、銀座7丁目の再開発に伴い5月から銀座6丁目3−7の数寄屋通りに移転する事になりました。
これを機にブログを書かせて頂きます。

さて、本題の自己紹介をさせて頂きます。
横浜のはずれの街にある横浜市立瀬ヶ崎小学校を卒業して、横浜市立六浦中学、鎌倉学園高等学校、専修大学と進みました。
その後、神戸の大丸百貨店に入社させて頂きました。
その時に出会った植田修二さんという上司に巡り会え、一から仕事を教えて頂きました。
本当に今でも感謝しております。
幸せな事に今でも泊まらせて頂いたり、親しくお付き合いが続いています。
そんなこともあり関西が心から大好きです。
公私共に、とても良い人に沢山出会えました。
デパートでは掃除のおばちゃんからも、警備員のおっちゃんからも『花田くん』と名前で呼ばれていたので上司もビックリしていました。
その当時は、思い残す事が沢山あって東京に帰るのはとても嫌でしたが家業を継ぐ為に退社しました。

大丸百貨店を退社し、花田美術に入社することになるのですが、バブル崩壊、メインの取引先であった岐阜の近鉄百貨店も閉店することになったり、色々な事が重なり年間売り上げの9割以上が無くなった時は本当に必死でした。
その後もリーマンショック、東北震災など、本当に大変な時期もありましたが、何とかこうして幸せで居られるのは、周りの方々のお陰だと痛感しています。
大好きな銀座で、大好きな美術の仕事をして、大好きな恵比寿に住み、大好きな我孫子ゴルフ倶楽部でゴルフが出来る事が本当に幸せです。

本当に感謝ばかりです。

ここからは、本当に個人的な話になりますが、12歳からの友達にもかかわらず、毎週のように会っていた友人を45歳の時に亡くしました。
その時は、本当に数ヶ月仕事をする気が無くなりました。
それ以降、生きているだけで幸せだと思うようになりました。
目が見える事、話しが出来る事、耳が聞こえる事、歩ける事、そんな日常の当たり前のことに、この歳でやっと感謝出来るようになりました。
これも彼のお陰です。
また、僕の自慢は16歳以降、どんな嫌いな人にも意地悪はしたことが無いことです。逆に自慢なんてこれしか有りません。

僕の人生での憧れは、イケメンより、お金持ちより、お洒落な人より、人として優しい人に憧れます。
そして、おじいちゃんになった時に誰よりも優しい人になれたら良いなぁと思ってます。

友達には、そんな良い人ぶって恥ずかしくないの〜なんて揶揄われますが、本気で思っているので、全然恥ずかしく無いです。

まっ、そんな感じの人が経営している画廊なんだなぁと知って頂けたら嬉しいです。

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株式会社 花田美術 東京都中央区銀座6-3-7
03−3289−0668

花田美術
HANADA Contemporary Art

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この記事を書いた人

花田美術の花田淳(じゅん)と申します。
銀座の泰明小学校の近くの6丁目で画廊を経営しています。
会長の花田孔男はコロナ禍以前になりますが銀座ロータリーの副会長をさせて頂いておりました。娘の花田ひなたは銀実会を通して、銀座で多くの先輩達にお世話になっております。
家族一同銀座に愛情を持っております。銀座の街に恥じないように真面目に一生懸命お客様に喜んで頂ける様に精進して参りたいと思っております。
今後とも、よろしくお願いします。

花田淳 - Wikipedia
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