藤田嗣治 「異邦人」の生涯を読んで。

藤田嗣治は、世界中の画家がパリに集まっていた1920年代に
ピカソ、モディリアニ、マチスなどと互角に渡り合えた唯一の
日本人作家だったんではないかと思います。

この本では、この藤田嗣治の幼少期から最期までの激しい人生を描いています。
藤田嗣治は、幼い時期に母を亡くし、父とは疎遠だった。
そんな子供時代を経験を考えると、
彼は愛を知らぬままに育ったんではないかと思います。
そんな事を考えると、パリ時代の奇抜な格好や行動の意味を理解出来ると思います。
そして最期まで日本的な村社会には馴染む事は出来なかった。
国籍も捨て、カトリックに改宗した。
日本を愛しながらも愛される事はなく、不当な評価を受けたと感じていたと思う。

この本を読み終わった時には、ちょっと悲しい気持ちになった。
藤田嗣治は、日本人ではなくフランス人に生まれていたら、
どんな人生だったんだろうかと一人考えてしまった。
普段の仕事として大好きな藤田嗣治 作品の販売や買取などをしていますが、
読書後は更にもっと好きになりました。

関連記事
◆藤田嗣治 鑑定連絡先・手続き方法について
◆藤田嗣治に関する相談

株式会社 花田美術
東京都中央区銀座6-3-7
03-3289-5555

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

花田美術の花田淳(じゅん)と申します。
銀座の泰明小学校の近くの6丁目で画廊を経営しています。
会長の花田孔男はコロナ禍以前になりますが銀座ロータリーの副会長をさせて頂いておりました。娘の花田ひなたは銀実会を通して、銀座で多くの先輩達にお世話になっております。
家族一同銀座に愛情を持っております。銀座の街に恥じないように真面目に一生懸命お客様に喜んで頂ける様に精進して参りたいと思っております。
今後とも、よろしくお願いします。

花田淳 - Wikipedia
自己紹介

目次
閉じる