【1】藤田嗣治の油彩(油絵)の高額買取査定が出せる作品とは?
弊社が藤田嗣治の作品の中で最も高額に買取が出来る図柄は、猫を抱く少女のです。
その他、可愛らしい少女の作品も人気です。
また、図柄というより技法的なことですが、乳白色の作品も人気が高いです。
その他
通常の人気図柄とは違いますが、個人的に南米時代の作品も私は好きな作品です。
パリで描いていた時代ほどは、人気の図柄ではないのですが、とても親しくしているコレクターさんが、この時代の作品ばかり購入している方ので、私も好きになってしまいました。
また、基本的には、住宅事情の関係もあり余り大きな作品は敬遠される傾向がありますが、逆に大きな作品しか購入しないお客様もいます。
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藤田嗣治略歴
藤田嗣治(1886~1968)
藤田嗣治は、東京生まれで、パリを中心に活躍したエコール・ド・パリを代表する洋画家です。
そのなかの唯一の日本人が藤田である。
藤田は1886年、東京で陸軍軍医の子として生まれた。
藤田は東京美術学校(現・東京藝術大学)の洋画科で学び、卒業から3年後の1913年夏、念願のパリの地を踏みました。
その時、藤田は26歳でした。
ピカソやモディリアーニ(イタリア)など若手芸術家たちとの交流を通じて藤田は自分の独自性をどのように出すべきかを真剣に考える日々を過ごす。
『自分にしか描けない絵とはいかなる物か?』
藤田嗣治の1つの答えが乳白色だったのです。
この白は、藤田オリジナルの製法で作られた色で、半光沢の滑らかな質感の色です。
この乳白色の下地の上の繊細な線描で描かれた作品がTHE藤田と言ったところでしょうか。
油彩画用の下地の上に、水性の墨で途切れることなく柔らかな線を描きました。
この事は当時の作家には考えられない事でした。
その後
戦争が日に日に活発化し、帰国する事になる。そして、軍からの依頼で「戦争画」を描く事になる。
それが後に藤田を追い詰める事になりました。
1945年の敗戦後、藤田は画壇から様々な誹謗中傷にさらされるた。
この時の藤田の心情を表す言葉が残っています。
「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」
戦後、アメリカに1年滞在した後、パリに戻り、
そして二度と日本に戻る事はありませんでした。
何か悲しいですよね
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