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むかい じゅんきち

向井潤吉

略歴

1901年11月30日 - 1995年11月14日(享年:93歳)

1901年 京都に生まれる。

1916年 関西美術院に学ぶ。

1927年 渡欧。パリのグラン・ショーミエールに学ぶ。

1933年 世田谷区弦巻にアトリエを構える。

1937年 陸軍報道班員として、戦争記録画の制作に従事する。

1945年 行動美術協会を創立。ライフワークとなる民家シリーズの制作が始まる。

1974年 画業60年記念、向井潤吉環流展を開催。

1993年 向井潤吉アトリエ館開館。

1995年 自信のアトリエにて死去。

向井 潤吉(むかい じゅんきち)京都生まれの洋画家。40年以上に渡り北海道から鹿児島までを旅し、生涯古い民家の絵を描き続けた。

向井の画業

 向井潤吉といえば 民家の画家として、もうその名は全国に行きわたっている。たしかに民家のシリーズは、向井のライフワークとして長くの画業であろう。敗戦後の日本が荒土・瓦礫の街と化した惨状を見て、農・山村の古い家々を、いまのうちに描いておかなくてはという発想は、国土への愛情と伝承の価値認識において、民話を収集した柳田国男や、民具の美を民芸として評価した柳宗悦と、相通じるものを私たちに思わせる。

 では、向井の青少年期の画業と、この民家への傾倒の仕事がどのように結びつくか、この課題が見る人を鼓舞してくれる。向井は京都に生まれ、十八歳のとき二科会第六回展に初入選、その後、兵役を経て大阪の高島屋(衣裳図案部)に勤務するあいだ、百撰会の図案懸賞で一等と二等を一人占めしたほどの俊秀であった。

そして一九二七年、二十六歳のとき渡仏、ルーブルで所期の名作模写に着手。三年ほどの滞仏期に描いた模写は、質量ともに日本最大、最高のものといっていいであろう。この間、風景画はただの一点、これもまた想像を絶した希少な記録であろう。ところで向井は、模写の作業が創作におよぼす危険に気づいていた。が、同時に、たとえばレ ンブラントは茶、青、黄、紅の四原色があれば描けるとか、その他、絵の具の材質や技法について多くの発見をしたことも事実である。

 しかし、じつは努力家の向井は模写に当てられる長い昼間の時間の上に、もう一つ自分の創作を試みる時間外労働を自らに課したのである。模写では果たせない画家のイマジネーションを夜の時間において羽ばたかせるのだ。これを「勝手に飛びまわる想念」といい、だんだら縞の色斑を加えた半抽象のフォービックな絵が、そのなかから生まれるのである。この想念と想像力こそが、古典の模写に傾倒しながらもなお、スーティンやココシュカの激越な心情表現に向井を引きずり込むのである。

 だが自己にきびしい向井は、これらの自作をウソの絵だとして結局はしりぞける。以後ふたたび想念の妄動をゆるさず、そのような画魂がのち図らずも民家の主題を得て、制作の情熱を昇華させることになる。

 民家を描きはじめる直前のころだったが、思わざる不審火によって貴重な模写をふくむ十数点の作品を焼損した。しかしこの不意打ちの打撃が、逆に向井を奮起させることになる。

 向井の絵は、西欧の古典に学んだ技法を底辺におき、日本の風土に適合する創意の技法をこれに重ねたものといえるだろう。そしてそれは手の作業にとどまらず、対象を精細に観る目の訓練を古典から学んだ。これが向井の精密描法となる。とくに民家風景にあらわれる野草や枝梢の表現に注目するべきである。向井自身の一言葉を逆手にとっていえば、これらの草や棺はヘナへナであるどころか、勢いよく大地から萌え出し、あざやかに天空を切って、その生命力を明らかにしているのだ。一方、藁(わら)や茅(かや)の草屋根は、ふんわりした柔らかさと、どっぷりした量感を合わせて、これまた確固たる存在感を伝えている。

 向井が柔らかな風土とか木質の脆さ、とかいうのは、その堅剛・細勁な雑草の一本一本の内面に、弾力に富む生命力を秘めていることに相応するはずではないか。生命とは、 こわばって固いものではあるまい。柔らかで脆いものを、その表面をなぞって描くだけでは、素人の弱々しい絵に終わろう。生命のみずみずしさを長く絵画にとどめておくためには、その柔らかさを包む強い筆が必要であろう。つまり、表が固くて、中身が柔らかいということになる。これにたいして新登場のリアリズムは、中身も表面も固い物質となっている。これはまた、変幻自在な自然の気韻をとらえようとする情動血の持続と、自然の外装を入念に描いて自然だとする詐術の妙味にふける考えとの相違をも意味しょう。

 向井はよく”前衛”ではなくて、”後衛”であると自称する。だが前衛も後衛も、五十年、百年たってはじめてその価値が、不滅であるか否かが証明されることが多い。高度成長は工業文明だけにかぎらず、美術文化にもおよんでいよう。典別進の激しいこの時代に、率先して後衛を自任する勇気と自信は尊い。これによって民家が標本や絵図に、また自然生き写しのコピーとはならずに、新鮮に息吹く創造の絵画と化してよみがえるのだ。自然のなかに自己を樹立させるのではなくて、自然のまっただなかに自己をひたし、自然をして自然自身を語らしめる、このような向井にとって、年経た民家はまさに第二の自然となる。この意味で向井潤吉は今日稀な一人の自然主義者であるといえようか。

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