くさま やよい
略歴
1929年3月22日〜
1957年 ニューヨークへ渡る。1929年、長野県松本市の種苗業を営む旧家に生まれる。近所には広大な花畑が広がっている環境の中で育ちます。その頃から絵を描く事が大好きな子供でした。ただ、他の子達と少しだけ違う事がありました。それは、視界に水玉や網目がかかって見え、草木や昆虫の言葉が聞く事が出来る子供でした。1日中、草木の声が聞こえる事は誰にも理解されずに精神的にも辛い時期を過ごしていました。ある時、幻覚の恐怖から逃れる為に紙に描く事をしていました。それが、なんとも言えぬ感じがして心が落ち着いたそうです。
小学校を卒業して松本高等女学校へ進んだ時に、美術の先生で日本画家の日比野霞径(ひびのかけい)に出会います。日比野の勧めもあり、京都市立美術工芸学校の最終課程に編入学し日本画を学びました。しかし、草間にはしっくりとこなかったのか1年余りで松本に戻る。それからの制作は今に続いているように感じます。素材や技法なども含め、独自の表現方法へと変わっていきました。1952年3月に初個展。それからわずか半年後には2回目の個展を開いています。
個展開催以降、草間は海外に出て行く事を固く心に決めます。当初はフランスのパリを目指していましたがタイミングが合わず断念。
その後、目的地はニューヨークになります。しかし、当時は戦争が終わってまだ10年を越えた程度です。今では想像出来ない程に海外に行く事が難しい時代でした。しかし、彼女の強い願いは実を結び、1957年11月18日、単身アメリカに旅立ちました。
当初、シアトルになるゾーイ・ドゥーザンヌ画廊で個展をする名目でビザを取得しましたが、翌年には、ニューヨークへ移り住む事になります。ミッドタウンの画廊街を歩き回り、作品を委託するカタチでなんとか食べていく日を過ごして行きました。その後、1963年5月に作家としての実績を認められ、念願の永住権を獲得します。
草間のニューヨーク時代というと1958年から1973年を指します。その時代は、ちょうど世界のアートシーンの転換期と言える時代でした。それまではパリが中心でしたが、パリからニューヨークへ中心が移って行く時代とも言えます。絵画だけにとどまらず、彫刻に関してもニューヨークがメインになって行く時代でした。それまでの美術、芸術のあり方が解体され、多様な表現が生まれ、育っていきました。そのような中で草間は新しい自分の芸術を制作して行く事となります。1964年以降からは、鏡や電飾を使った空間表現の作品を発表し、ハプニングと称される過激なパフォーマンスで注目されました。
草間はアンディ・ウォーホルらとグループ展示なども行った点やフランク・ステラやドナルド・ジャッドと個人的に付き合いがあるアジア人で、女性作家で成功している作家は草間しかいないのではないかと思います。ステラもジャッドも彼女の作品を心から評価していた証拠に個人的にも作品を収集していました。
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