片岡球子の原画の買取価格は?大事な作品を売却する時に気をつけたいポイントをご紹介

片岡球子 原画 牡丹と青富士

片岡球子の原画(直筆画)の相場価格について

片岡球子の原画(直筆画)の相場価格について、近年の公開オークションデータを遡ったところ、20号の青富士が2023年7月に580万円で落札されています。また、2021年10月には51cmのミクストメディアの富士の作品が75万円で落札されていました。富士以外のモチーフでは、2023年10月に8号の薔薇の作品が220万円、2023年4月に6号の子供の作品が48万円で落札されていました。

上記のことからわかるように、モチーフやサイズ・技法といった様々な要素によって相場価格は変動します。お持ちの片岡球子の原画(直筆画)作品のより詳細の金額感をお知りになりたい場合は、お気軽に花田美術にお問い合わせくださいませ。

片岡球子とは?

片岡球子は1905年1月5日北海道札幌区(現 札幌市)で、8人兄弟の第一子として生まれました。幼少期から絵を描くのが好きだったようですが、現・札幌北学校である北海道府立札幌高等女学校に入学した当初は両親の意向もあり医者を目指していたといいます。
しかしある日、片岡球子の親友関谷かよ子からの次の言葉で画家になることを決意しました。

「芸術家ー絵かきになるわ、ダンゼン。あんたには、その方が、ずっと意義がある」(片岡球子『精進ひとすじ』 p.76より)

高等女学校にて小学校の教員免許を取得後は、現・女子美術大学である女子美術専門学校へ入学し、卒業後は教師として小学校に勤務しながら画家として制作を続けました。

片岡球子の略歴

ここでは片岡球子の画家としての略歴を紹介します。

1905年 北海道札幌市に生まれる
1926年 女子美術専門学校日本画科卒業
1929年 日本美術院展への出品について、師である吉村忠夫に相談したところ破門される
1930年 院展に《枇杷》を出品し、初入選
1939年 院展に《緑䕃》が入選、日本美術院院展推挙
1942年 日本美術院研究会への出品作《祈禱の僧》が大観賞受賞
1946年 安田靱彦に師事
1950年 院展に《剃髪》が入選、日本美術院賞 白寿賞受賞
1952年 院展に《美術部にて》が入選、日本美術院同人推挙
1955年 大岡小学校を定年退職。女子美術大学日本画科専任講師となる
1960年 女子美術大学日本画科助教授となる
1962年 芸術選奨文部大臣賞受賞、日本美術院評議員となる
1966年 女子美術大学客員教授となる
1976年 勲三等瑞宝章受章
1978年 第27回神奈川文化賞受賞
1982年 日本美術院会員に選抜される
1986年 文化功労者に顕彰される
1989年 文化勲章受章
1993年 愛知県立美術大学にて約20年かけて制作されていた《法隆寺金堂壁画模写》が完成
2005年 神奈川県立近代美術館にて「片岡球子展 現代日本画の巨星 100歳を記念して」開催
2008年 急性心不全のため逝去

片岡球子の原画作品の特徴や魅力

片岡球子の原画作品といえば赤や青といった原色を基調とした鮮やかな配色に、意志の強さを感じる輪郭線、そして描かれる富士山などのモチーフへの視線が誘導されるような大胆な構図が特徴であり、唯一無二の世界観が確立されているところが魅力だと考えます。

また富士山以外の山を描いた作品や、面構・裸婦といった作品も非常に人気が高く、各テーマやモチーフから感じる作家からのメッセージを想像しながら鑑賞するとより作品を楽しむことができます。

独自の世界観とテーマ性

片岡球子らしい型破りな構図や、力強い筆致に鮮やかな色彩の作品は時として「ゲテモノ」と評される時期もありました。帝展で3回、院展で7回の落選を経験し「落選の神様」や「疫病神」などと揶揄されることもありましたが、それでも頭の中は絵のことでいっぱいだったといいます。

片岡球子 原画 めで多き富士

代表作として「富士山」や「面構」が挙げられますが、山の中で富士山を選んだ理由は「火を噴かないから」ということからでした。しかし描きやすいのではないかと考えて選んだ山は厳かで、雄大で、そして大変難しいものでした。随分と思い悩み「ここで骨を埋めるまで富士山を描こうと思ったの」と決意したといいます。それから片岡球子は生涯、富士山を描き続けました。

また「面構」というテーマへの取り組みについては、顔には人の魂が現れるものとして、その人の思考や人生を理解・解剖する挑戦だったといいます。一つひとつのテーマへの強い熱意が、作品へと現れています。

色彩の鮮やかさと表現力

片岡球子作品の色彩は赤・青・黄といった原色で描かれ、輪郭線は力強い存在感を放っています。日本画というと、優しい色合いの岩絵具や質素な水墨で描かれた穏やかな作品が多い印象が強いですが、片岡球子の作品からはまったく逆の印象を受けます。

片岡球子 原画 北斎の娘

片岡球子は、女子美術専門学校にいた時から作風を見た様々な人から「油絵に転向した方が良い」というアドバイスを受けます。しかし、それを言われれば言われるほど日本画を勉強し続けたいという思いは強固なものとなり、日本画の伝統的な部分を大切にしながらも新しいことはできないかと様々な手法を試し続けました。

例えば、本来は箔を貼るところに裏打ち用の紙や強性紙と呼ばれる耐久性のある和紙を貼ってみたり、膠の代わりに接着剤で絵の具を溶いたりといった挑戦をしました。どんな批評を受けようとも、自分流に絵画に向き合い続けた片岡球子が辿り着いた表現力に、今では人々は夢中になっているのです。

「皆さんが、とてもゲテモノだって。日本画の基本からはずれているということでいろいろ注意してくださるんですけれども、自分は研究だからやめられないんですよ。ほめられてもほめられなくてもそんなこと関係ないんです。」(片岡球子『精進ひとすじ』 p.126より)

【参考文献】
片岡球子の言葉 精進ひとすじ
片岡球子 (著), 平塚市美術館 (編集)
出版:求龍堂
出版日:2017年9月30日

本画売却時に注意すべきポイント

美術品を売却する際に気をつけておくポイントは大きく分けて2つ、①買取業者の選定と②売却方法の選定です。今回は特に片岡球子の原画(本画)作品を売却するという状況に絞って、どのような点を確認するべきかご説明します。

安心して売却できる買取業者を選ぶ

美術品を売却する上で最も重要なことは、買取業者の選定です。特に初めて美術品を売却しようとした時に、どの買取業者に相談するべきか、どのようなことを聞いておくべきかといった様々な疑問があるかと思います。まずは気になっている買取業者のHPを見てみて、次の3つのことを確認してみてください。

  1. 実店舗があるか
  2. 片岡球子の原画(本画)を取り扱っているか
  3. 美術品を専門に取り扱っているか

上記のことを満たしている買取業者であれば、信頼性が高い傾向にあります。2番目の「片岡球子の原画(本画)を取り扱っているか」については、片岡球子作品は原画(本画)以外にも版画の作品も多数存在しています。原画(本画)と版画の買取では必要な専門知識が変わってくるため、取り扱っている作品の種類も確認しておきましょう。

また、最終的には人対人のやり取りとなるため、買取業者のスタッフや社長の雰囲気や方針が自分と相性が良いかを見た上で、最終的に売却先を決定することをおすすめします。そういった相性を確認する上では、相談する前に実際にお店に行ってスタッフと話してみたり、YouTubeなどのSNSを確認して雰囲気を見ておくと良いです。

自分にあった売却方法を選ぶ

美術品の売却というものは、シンプルに買取業者に査定を依頼し買い取ってもらうという方法がありますが、手段はその一つだけではありません。例えば一般の方も参加できる公開オークションへの出品や、業者間だけで行われるクローズドなオークションへの出品、またお客様の売却したい金額を設定して作品を画廊等に預け、営業活動をしてもらう「委託販売」といった方法もあります。

売却したい金額感や換金したいスピード感など、お客様の状況や希望によってベストな売却方法が変わってきます。希望を伝えた上で、どんな売却方法が自分に合っているのかということを買取業者に相談すると良いです。片岡球子作品の知識が深い買取業者であれば、最新の相場感の把握はもちろんのこと、どういったオークションに出品すれば高値で売れやすいかなど、お客様にとって有益な情報を提供してくれるでしょう。

花田美術の以下のYouTubeでは、美術品の3つの売却方法についてそれぞれのメリット・デメリットを詳しく解説しています。この動画を見ておくだけでも、ある程度どうやって売りたいか?というイメージができるような内容となっております。特に美術品を初めて売却される方はご参考になさってください。

美術品売却の3つの方法 メリット・デメリットについて

片岡球子の原画の買取査定は花田美術へご相談ください

片岡球子作品は片岡球子がご逝去されて15年以上経った今でも多くの人々から愛され、その人気は根強いものです。花田美術では40年近く片岡球子の原画作品を取り扱ってまいりました。片岡球子作品の売却をご検討されている方は、お気軽に花田美術までお問い合わせくださいませ。

お問い合わせいただいた際にはお客様のご希望と、作品のサイズ・図柄・画題・鑑定証書の有無・共シールの有無といった情報をお伺いしております。左記を踏まえた上で、どのようなステップを踏んでいくとお客様にとって良いかをアドバイスしております。

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