横山大観の「霊峰不二」の魅力~現在でも人気で評価の高い理由とは~

横山大観 霊峰富士 不二

横山大観の霊峰不二(霊峰富士)とは

横山大観は霊峰不二(霊峰富士)を生涯にわたって描きました。その作品はいまだに人気が衰えることを知りません。なぜ霊峰不二の作品が人気なのか、また横山大観が霊峰不二の題材である富士山を描いた理由やその魅力などをご紹介いたします。

花田美術では、横山大観の作品の買取査定や相続査定を行っております。これまでに個人のお客様のみならず行政機関や上場企業からのご依頼も承っており、その査定実績は40年以上です。横山大観の作品の売却をお考えの方は、ぜひ弊社へお問い合わせください。今すぐ売却をお考えでない方もお気軽にご相談いただけます。

今回のコラムでは横山大観の霊峰不二を取り上げておりますので、霊峰不二の作品をお持ちの方はご参考にされてください。

横山大観が描く霊峰不二を解説

横山大観が描く霊峰不二には、どのような意味合いがあるのかご存知でしょうか。

横山大観 讃春 霊峰不二

霊峰不二とはつまり富士山のことを指しており、横山大観の描く富士には次のような意味があります。

富士山=不死山=霊峰山

昔は富士山のある甲斐の国(=現在の山梨県)は不老不死の神仙の地で、死者が蘇る地として考えられていました。その甲斐の国の境を接する霊峰は蘇りの山として位置づけられ、蘇り=不死=富士と考えられた説があります。横山大観の霊峰不二は、このような神格的な捉え方をした富士山の図なのです。

横山大観が富士山を描いた理由

横山大観は生前に、次の言葉を残しています。

富士山を描くことは、富士に映る自分の心を描くこと。

つまり己を描くことだ。

富士は春夏秋冬、朝昼晩、いずれも趣がある。

そのように語っていた横山大観にとって、富士山は永遠のテーマだったのです。
また、戦後の昭和29年5月6日の新聞記事には以下のようなことが書かれていました。

古い本では富士を「心神」とよんでいる。心神とは魂のことだが、私の富士観といったものもつまりはこの言葉にいいつくされている。

しかし、富士の名画というものは昔からあまりない。

それは形ばかり写すからだ。富士の形だけなら子供でも描ける。

富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。

心とは人格にほかならない。

それはまた気品であり、気迫である。富士を描くということは、つまり己を描くことである。

己が貧しければそこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねばならない。私の富士もけっして名画とは思えぬが、しかし描く限り、全身全霊を打ち込んで描いている』

横山大観談「私の富士山」より

この言葉から、横山大観は自分の心を磨く事、自身の美術道を極める中で富士山が避けては通れない存在であったということが分かります。それ故に、横山大観は亡くなる寸前まで富士山を描き続けたのだと思います。

霊峰不二の魅力

横山大観が霊峰不二を画題とした作品は複数ありますが、それぞれに異なる魅力があります。また、霊峰不二に限らず富士山を題材とした作品は大変人気です。

横山大観 霊峰富士 不二

ここではその中でも、名作といわれる「霊峰不二(昭和12年)」「霊峰飛鶴(昭和28年頃)」「霊峰一文字(大正15年)」の三つの作品について、その魅力をご紹介します。

▼霊峰不二(昭和12年)
富士山と旭日が描かれており、旭日が照らす富士山の雄大さを物語っているような作品です。この作品と同じ図柄・構図で描かれた作品はいくつかありますが、どれも名作と言われており大変人気です。

▼霊峰飛鶴(昭和28年頃)
富士山の前に鶴の一群が飛翔している様子が繊細に描かれており、吉祥を感じさせます。また、黄金色の光と青い富士山の色合い、そして富士山と鶴の静と動の図柄が対照的に映り、神秘的な魅力がある作品です。

▼霊峰一文字(大正15年)
大阪文楽座の座頭・竹本津太夫と意気投合した横山大観が、病気全快祝いのために贈った作品です。人形浄瑠璃の文楽舞台の引幕として使用されました。約9mもの幅がある力作で、水墨で表現された黒雲から見える富士山は、その迫力を大いに感じさせます。

横山大観の富士図を所蔵している美術館

横山大観の富士図を所蔵している美術館は複数あり、展示企画がある場合においてその作品を見ることができます。作品保護のため常設展示はされておりませんので、もし横山大観の富士図を見てみたいという方は、各美術館の展示情報をご確認ください。

先程ご紹介した作品は、それぞれ異なる美術館に所蔵されています。

  • 霊峰不二(昭和12年)・・・山種美術館
  • 霊峰飛鶴(昭和28年頃)・・・横山大観記念館
  • 霊峰一文字(大正15年)・・・岡田美術館

また、足立美術館、水野美術館、東京国立近代美術館、山王美術館、廣澤美術館、ポーラ美術館などにも、霊峰不二を描いた横山大観の作品が収蔵されています。

霊峰不二を描いた横山大観の生涯

生涯を通して多くの富士山を描いた横山大観は、明治元年に生まれ、明治22年に東京美術学校の一期生として入学しました。その際に岡倉天心などから指導を受け、画家としての人生を歩み始めます。

富士を描くようになったのは、若い頃に立山に登った際に、そこから見た雲海に浮かぶ富士山の雄大な景色に魅了されたからです。ここから横山大観の画家人生が大きく変わり、亡くなる寸前まで富士山を描き続けました。横山大観はその生涯の中で富士山を1000点以上も描いたことから、「富士の画家」ともいわれています。

神州の正気 霊峰不二

横山大観が描く霊峰不二の人気が高い理由

横山大観が描く霊峰不二は、美術館で作品の展示が企画されると多くの来場者を呼ぶほど高い人気があります。その人気の高さから、展示を告知するポスターには富士図が採用されることが多いです。

霊峰不二を描いた作品が特に人気である理由は、名画が多いことはもちろんのこと、「横山大観といえば富士」といわれるほどその認識が強いからです。富士山が描かれた絵画は平安時代から残っており、多くの画家が描いています。そのような中でも、横山大観は富士山を描いた代表的な画家としてその名が挙がるほど有名なのです。

横山大観の作品を評価するポイント

横山大観の作品の中でも、評価が高くなるポイントの一つが霊峰不二です。先程も解説した通り、霊峰不二のように富士山が描かれた作品は人気が高く、それ故に憧れる方も多いです。このように需要が高いことから、査定評価も高くなります。

また、旭日や鶴などの自然物や動物を富士山と共に描いている作品もあります。そのような図柄もまた評価のポイントとなります。

東海之富士 霊峰不二

しかし、図柄の他にも状態やサイズによって評価は変わりますので、売却をお考えの方は一度専門家へご相談されることをおすすめします。花田美術は40年以上査定の実績があり、美術品に精通する専門家が査定を行いますので安心してご相談ください。

横山大観の買取・査定については、次の記事でも詳しく解説しています。

あわせてご覧ください。

横山大観の買取や査定のポイントをご紹介

花田美術では横山大観の霊峰不二を描いた作品を買い取ります

横山大観の霊峰不二の作品の売却などをお考えの方は、花田美術までご相談ください。花田美術は横山大観の作品に限らず、さまざまな作家の美術品の取り扱いがございます。

時価評価や相続・買取査定に対応しており、査定後はすぐに売却を決める必要はありませんのでご安心ください。また売却方法や売却時期に関しましてもご相談を承ります。

作品はお写真でも確認することが可能ですので、まずはお気軽にお問い合わせフォームまたはお電話にてお問い合わせください。

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